はじめに
この記事をお読みくださっている多くの皆さんは、現在、企業の法務部門で法務に関する各種の仕事に従事しておられることと想像しています。
一口に法務の仕事とは言っても、業種や規模等により、法務部門の所掌業務は区々ではあるものの、契約書の記載内容や個々の契約案件におけるリスクを管理することについては、法務部門にて対応していることが多いのではないでしょうか。
会社には多くの組織があり、各組織の日常業務において数多くの契約案件を取り扱っているはずです。そのうち、文房具の購入等、法務に関する知識を必要とはするものの、多くの場合に相手方当事者との間でトラブルに至る可能性の低い案件がある一方、投資案件やライセンス契約等のように金額も多額に上るものも少なくありません。また、金額の多寡を問わず、会社が事業目標を達成するうえで必要となる各種の業務委託契約の管理も重要な課題であることに疑いの余地はありません。
こうした中で社内の各組織に法務、とりわけ契約法務に精通した人が配備されているのであればよいですが、実際上、必ずしもそうとはいかないのが実情です。
そこで、社内の各組織から法務部門に対し、個々の案件に即応した契約書の作成や、相手方より提示された契約書の内容の検討を依頼されることが日常的にあるのが法務部門の風景であるとさえ言えます。
そうした中では、多くの法務部員が「所定の契約書ひながたがあれば便利であるだけでなく、法務部員の稼動負担も軽減されるはずなのに」と思うのです。
この記事では、法務部門が用意する契約書ひながたとはどのようなものなのか、その雛形が用いられる理由、さらにひながたを用いるにあたり、留意すべき事項がないのか、といった事柄について、長く法務部門の末端に身を置く人間の一人として若干の感想を申し述べることにしたいと思います。
この記事を読むことにより、契約書ひながたがどのようなものであり、どのような意図のもとに準備されるのかを理解できるようになります。加えて、契約書ひながたに潜む(後掲の)「副作用」を回避して、効率的に仕事をすることができるだけでなく、現在以上に自己成長を遂げることができるようになります。
ぜひ、最後まで読んでください。

契約書におけるひながたとは?
ここでは、企業の法務部門が用意する契約書ひながたとは、いったいどのようなものを指すのかを説明していくことにします。
契約書ひな形の姿
契約書における「ひながた(雛形)」とは、特定の契約類型において基本的に必要となる条項を体系的に網羅し、標準的かつ一般的に承認された文言を組み合わせて作成されたモデル文書を指します。
ひながたは、契約書作成業務における迅速化、漏れ防止、社内統一、品質の標準化を目的として使用され、企業実務において極めて重要な役割を担います。
しかしながら、ひながたはあくまで「出発点」に過ぎず、契約ごとの個別事情やビジネスモデルに応じて修正・カスタマイズを加えることが前提となります。
ひながたを無批判に使用すると、想定していなかったリスクが潜在化する可能性があるため、各条項が与える法的効果やリスク配分について十分に理解したうえで、適切な修正を加えることが求められます。
特に、新たな法改正や裁判例の動向にも留意し、ひながたのアップデートを怠らないことが肝要です。
企業の法務部が契約書ひながたを作成する理由
企業の法務部が契約書ひながたを作成・整備する意図は、以下のとおり多岐にわたりますが、一般的に言えば、以下のように整理することができます。
- リスク管理の標準化: 業務に内在するリスクを適切に分析・分類し、標準的な対応策を契約書に反映させることで、全社的なリスク低減を図る。
- 業務効率化・スピードアップ: 個別案件ごとにゼロから契約書を作成する手間を省き、迅速な契約締結を実現することで、ビジネス機会の損失を防止する。
- コンプライアンス強化・ガバナンス向上: 契約内容のばらつきを防ぎ、法令遵守・社内方針遵守を徹底することで、内部統制を強化する。
- ナレッジ蓄積と活用: 過去の契約交渉・訴訟対応で得た知見を反映した「実践知」を組み込み、組織的な契約実務能力を向上させる。
- 外部交渉力の向上: 交渉のベースとなる標準案を確立することで、対外交渉時に企業として一貫したスタンスを維持できるようにする。
このように、契約書ひながたは、単なる事務効率化ツールではなく、企業リスクマネジメント戦略の中核を成す存在といえます。
雛形契約とは何か
企業の法務部門においては、各種の契約類型の中でも、特に「雛形(ひながた)契約」と呼ぶものがありますので、ここで触れておくことにします。
雛形契約とは、標準的な条項を盛り込んだひながたに基づき作成され、必要最小限の修正だけを加えて使用される契約書を指します。特に、取引頻度が高く、リスク構造が比較的定型的である場合(例: 秘密保持契約、業務委託契約、売買契約、賃貸借契約など)において広く利用されています。
雛形契約のメリットは、契約作成プロセスの大幅な効率化、交渉時間の短縮、リスク漏れの防止ですが、万能ではありません。取引特有の事情(例: 特別な製品仕様、特有の納期条件、海外法適用など)や相手方の属性により、リスクが変動する場合には、個別にリスクアセスメントを行った上で、ひながたの修正や特約条項の追加を行う必要があります。このため、雛形契約であっても、「実質審査」と「案件ごとの適合性検討」が不可欠となります。
契約書ひながたの作成法
読者の皆さんの中には、自社の法務部門において自社独自の契約書ひながたを用意していない会社もあるかもしれません。
この記事をご覧いただき、ひな形を用意することに関心をもってくださったものの、「どのようにして契約書ひながたを作成すればよいのか分からない」という悩みをお持ちの方もおられるかもしれません。
そこで、ここでは契約書ひながたの作成方法等をご紹介します。
契約書ひな形を作成する際の留意点
契約書ひながたは、企業法務の実務において迅速かつ正確な契約締結を支える重要なツールです。
以下は、法務部が契約書ひながたを作成・整備する際に留意すべき主な事項です。
契約の目的・取引の実態を正確に反映すること
法務部門が用意する契約書ひながたは、対象となる取引の性質やリスクに即した内容でなければなりません。
社内の関連組織へのヒアリング等を丹念に行い、現場の取引実態・実務の状況を的確に把握しておくことが不可欠です。
必須条項・任意条項の整理
上記1.とも関連することではありますが、社内における各種の契約の性質に応じて、最低限必要な条項(例:目的、契約期間、解除、損害賠償、秘密保持、準拠法等)が何であるかをしっかりと抽出し、各々の項目に対して必要な条項を手当しておく必要があります。
ケースバイケースで挿入可能な任意条項(例:反社会的勢力排除条項、成果物の知的財産権の帰属等)は、注記や選択式で明示します。
最新の法令・判例を踏まえた内容とする
ビジネスで直面する関係法令(さらに言えば法令より下位の諸規則を含みます)は、頻繁に改正等がなされ、進化していきます。
会社が実務で用いる契約書ひながたは、こうした最新の関係法令に対応したものである必要があります。法改正がなされ、実際に改正法が施行されているにもかかわらず、社内で準備した契約書ひながたが改正前の内容にとどまっていてはならないのです。
中でも、例えば、下請法、独禁法、消費者契約法など、関係する法令の改正に注意し、定期的に見直しを行う必要があります。
判例で問題とされた契約条項があれば、そのリスクを回避できるよう修正等の手当てをしておきます。(この部分については、必要に応じ、社外の法律専門家としての弁護士の指導等を受けると良いでしょう)。
自社にとってのリスクヘッジ条項の明記
契約書ひながたを用いる趣旨の1つとして、自社が被る可能性のある法的リスクを可能な限り最小限にすることを挙げることができます。
損害賠償責任は、その典型例であるといえます。
そこで、契約の相手方より自社に対する損害賠償責任の上限(キャップ)の制限や故意・重過失以外の免責)、契約不適合対応、契約の解除など、自社を防御する条項を定めることは勿論、その内容についても十分に検討します。
相手方とのバランス
法務部門の社員の中には、自社の法的リスクをヘッジすることに熱心なあまり、個々の契約において生じる可能性のある法的リスクの一切を相手方に負わせることを内容とする契約書ひながたを懸命に作成する人も見られます。
しかし、一方的すぎる契約内容は、交渉の難航や信頼関係の悪化を招く可能性があります。
特に取引先が中小企業や個人事業主の場合、取引の実態に見合った柔軟性のある文言とすることにも留意したいところです。
社内承認・バージョン管理の整備
作成したひな形は、社内の承認プロセス(法務部長・コンプライアンス部門など)を経た上で正式運用とします。
改訂履歴やバージョン管理を明確にし、誤用や旧版使用を防止します。
解説付きの運用マニュアルの整備
担当者が正しく活用できるように、各条項の趣旨や変更の可否、交渉時の留意点等を記載した解説書を併せて整備します。
以上を踏まえ、ひな形は単なる「定型文」ではなく、実務に即した“生きた”文書として設計・更新することが、法務部の信頼性向上に資すると言えます。
契約書作成の基本
契約書作成において遵守すべき基本的なルール・注意点は以下のとおりです。
- 取引の実態を正確に把握すること:
事実関係の確認を怠らず、取引実態に即した条項設計を行うことが不可欠です。
- 条項間の整合性・体系性を確保すること:
契約全体のロジックが破綻しないよう、条文相互の関係性に注意します。
- リスク配分を明確に設計すること:
損害賠償責任、契約解除要件、不可抗力規定、責任限定条項等によるリスク割り振りを明示的に行う必要があります。
- 紛争解決手段を明示すること:
管轄裁判所、準拠法、仲裁合意、協議条項などを明確に定め、万一の紛争発生時の対応を迅速にできるよう備えます。
- 明確かつ簡潔な表現を用いること:
あいまいな表現や冗長な言い回しを避け、誰が読んでも理解できる明快な文章とします。
- 法改正・判例変更に留意すること:
最新の法律改正や重要判例を踏まえた条文整備を怠らないことが重要です。
契約書はなぜ2通作るのか?
契約当事者が2者である場合には、契約書を2通用意し、自社と相手方当事者とで1通ずつ保有します。
よって、契約当事者が3者であれば、3通作成することになります。
契約書を複数作成する理由は、双方当事者がそれぞれ自ら署名押印済みの「真正な正本」を保有することで、将来、契約内容に関する争いが生じた場合にも、各当事者が自己の権利主張を裏付けるための確実な証拠を保持できるようにするためです。
また、日本の民事訴訟実務上、裁判所への原本提出義務が課される場面があり、双方が正本を保持していれば、原本提出要求にも柔軟に対応可能となります(民事訴訟法第228条第4項参照)。さらに、署名押印の真正性が争われた場合でも、双方が同一内容の原本を保有していることで、契約成立および内容の確実性を証明する上で大きな効力を持つことになります。
どうしても多くのひな型が欲しいあなたへ
ここまで縷々説明してまいりましたが、読者の皆さんの中には、次のように感じている人もおられるのではないでしょうか。
- 自分ひとりで契約書ひながたを要する時間がない
- 自分が作成したひながたやその条項が法的に正しい内容なのか自信がない
- 効率よく契約書ひながたを揃えたい
そうしたご希望をお持ちの方に下記のフォームをご紹介します。
もっとも、これらはあくまでも一部です。市販されているフォーム集を参照してみるのもよいですし、皆さんご自身でネット上の情報を丹念に検索して、より多くの情報を得ることもできます。
作成主体 | 概要 | URL |
経済産業省 | 委託契約書、請負・売買契約書 | 契約書フォーマット(METI/経済産業省) |
経済産業省 | 投資事業有限責任組合 | 投資事業有限責任組合(LPS)制度について (METI/経済産業省) |
弁護士法人デイライト法律事務所 | 業務委託契約書 | 業務委託契約書の書式テンプレート・ひな型の無料ダウンロード |
クレア法律事務所 | 各種契約書、議事録様式等 | 契約書 / 会社書式 | クレア法律事務所 |
ルースター法律事務所 | スポンサー契約書、協賛契約書 | 「スポンサー契約書」「協賛契約書」のポイントとひな型を解説 | ルースター法律事務所 |
雛形を用いる際の注意点(必読)
法務スタッフが日常の業務において契約書ひながたを用いる場合に注意しておくべき事項を説明します。
皆さんの中には「注意事項なんてあるの?」「ひながたを使えば効率的に仕事をすることができるのだから、何の問題もないはず」と考える人もおられるのかもしれません。
ひながたを用いる際に注意すべき事項は、「法務スタッフが思考しなくなる」ということです。
契約案件に雛形を導入した場合に最も注意しなければならないことです。法的な知識、とりわけ契約に関する基礎的な知識を蓄積することができている人であればよいのですが、「最近、法務に着任しました」というような社員がひながたを使って契約業務に対応する場合、大抵はひながたと目の前にある案件との照合するだけになってしまうことがほとんどです。
契約当事者間における権利義務関係、権利の性質等を考慮して条項を組み立てることは、まずないのです。
営業部等、直接法務の仕事に従事しているわけではない社員であれば、それもやむを得ないでしょう。
そうした社員を補ってあげることが法務部門の役割であるとさえ言えます。
しかし、法務部門で仕事をする社員があらかじめ用意されたひながたとの照らし合わせることに終始しているようでは、到底、法務部門の役割を果たしているとは言えないでしょう。
こうした説明をすると、「法律事務所の弁護士もひながたを使っていると聞いたことがある」という反論をする人も出てきます。
しかし、法律事務所の弁護士は、司法試験に合格し、司法修習を修了しているのであり、インハウスでなく、社員として勤務する一般の社員=法務部門に属する社員とは異なります。
弁護士は、司法試験受験の過程で民法等の主要法律科目をしっかりと勉強しているわけであり、本来、ひながたにお世話になる必要はないわけです。
弁護士の場合、契約書ひながたを仮に使用するとしても、批判的にひながたを用い、個々の事案に応じて変形させて用いるでしょう。
弁護士は、通常の社員とは異なることに気づきたいものです。
まとめ
契約書ひながたは、法務に関して十分な知識を保有する者が戦略的に用いるならば、効率的に仕事を進めることができることは事実です。
しかし、その一方で、例えば法学部出身ではなく、法務部門に着任してからはじめて法律関係の仕事をするようになったという社員の場合には、ひながたを用いるとしても既存のひながたと照らし合わせることに終始してしまう可能性が高いのです。
個別の案件次第ではありますが、必ずしも十分な知識を持たない社員がひながたを用いると、ひながたには定められていないが、その案件に対応するにあたっては追加して定めておくべき事項や修正した上で定めることが必要な事項が定められることなく終わってしまうという危険があるのです。
その意味では、契約書ひながたを用いるから安心だなどと早合点せず、事案等を分析し、論点を抽出するとともに、それらを十分に考慮して条項を組み立てていく姿勢を意識しておくことが肝要です。
皆さんもそうした意識を持ったうえで契約書ひながたを用いることとしてください。